競馬会合併の一因
2011/10/04この馬券が禁止されていた時代というのは競馬法が施行される1923年まで継続し、もちろん入場者数は激減してしまし、国からの補助金はありましたがどこの倶楽部の運営も悪化していったのです。
そこで1912年に宮崎競馬場で入場券に勝ち馬競馬予想投票用紙を付けて1着馬の予想が的中した者に的中者の人数に応じて相当金額の商品券を配布するというイベントを実施したところ大成功をおさめ、入場者が激増したので翌年からは他の競馬倶楽部でも同様に行って1914年までには11の団体全てが実施するようになりました。
しかし投票用紙は数枚しかなく1レースで1枚しか購入できませんでしたが入場券を何枚も購入すればそれだけ多くの投票用紙を入手できるためそのような行為をする者が多々見られるようになりました。
また商品券は競馬場の場外で現金化する事ができました。
競馬法が施行され8枠連勝複式馬券が導入されるまで。
馬券が禁止されていた時代は基本的に政府からの補助金によって競馬が開催されていましたが投下資金ほど馬匹改良がなかなか進まず陸軍が主導して競馬法が施行されるようになり、これを期に馬券発売が再会されました。
再開時の馬券は単勝式のみで1枚20円の馬券が発売されました。
配当には馬券の額面の10倍までという支払い上限が設定されておりそれを超えた場合や的中者がいなかった場合には全て主催側の収入となったので馬券購入者には非常に不利な状況となっていました。
ですが1931年に法律が改正された事によって複勝式が導入され、同時に配当超過分に関しては非的中者に特別給付金として支払われるようになりました。
これで一部の競馬倶楽部は経営困難な状況に陥ってその後の競馬会合併の一因となったのです。